動物を標本にする感覚 [日記]
あの有名なドイツのホッキョクグマ・クヌート。
映画にもなり話題になりましたが、なんとその「標本」が公開されたらしいのです。
っていうか標本にするというプロジェクトがあったこと自体知らなかったのですが。。
なんかとってもショックです。
死んでしまったことが、これ以上ないくらい生々しくつきつけられるようで。
私個人の感覚なのかもしれませんが・・。
でもなんとなくね、日本人の感覚として、本質的なものは目に見えないようにしておきたいという思いがあると思うんですよ。
汚い、という言葉は適切ではないと思うのですが、生きるために必要な大事なことでも、オブラートに包むというか、直接的にはそれを提示したくないという気持ちがね。
私がスイスにいてびっくりしたのは、お昼時に動物園に行くと動物たちのランチタイムが見られるんですね。
で、トラとかオオカミとかが何を食べているかというと「野ウサギ」なんですよ。
しかもファーがまだついたままの、何の加工もしてない殺された野ウサギ。
トラの口からうさぎの長い耳が垂れてるんですよ。
私は個人的にうさぎが大好きなので大変なショックを受けたのですが、
もっと驚いたことに、現地の子どもたちがわいわいその様子を見ているんです。
スイス的感覚で言えば、これは教育なんでしょうね。私たちは命を食べているんだと。
それを生々しいかたちで見せるのが、向こう流。
でも、かと言って日本人が命を食べていることをないがしろにしてきたわけではない。
それが直接的でないというだけで、日本にも八百万の神々に感謝するというかたちでその精神は今に残っている。
だから私たちは、どんなに食が西洋化しても、未だに「いただきます」と言ってごはんを食べ始めますよね。
クヌートが標本になったというニュースを聞いて、この「みなに愛されたホッキョクグマが死んだ→標本にする」という発想が、経済効果云々ということ以前に、ドイツとかスイスとかと日本の思想の違いに由来するものなのかもと思ったのでした。
まぁ保存しておきたいという気持ちはわからないでもないのですけどね・・。
ペルシャ猫好きで知られる谷崎潤一郎は、それでも書斎に猫を入れなかったそうですが、初めて飼ったペルシャのはく製は例外だったそうです。
そういう人もいるから一概に日本人の感覚と言って私の感覚をまとめることはできないのですが。
私と谷崎、この場合どちらが少数派なのでしょう?
2013-02-18 11:08
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コメント(2)
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命あるものを食べ命を繋ぐことに感謝する日本人独特の「いただきます」「ごちそうさまでした」を外国語に訳してあるのをまだ見たことないのですが・・・・そして何一つ無駄にせず残らず頂くのだと教育しますものねえ。ここから死生観も始まっているんだと感じるので、インテリアとして剥製を飾ってある人には「だったら、敷物かコートにして寒さを凌げよ~」って心の中では思ってます。
祐飛さん在団中には友の会SS席全く当たらず、役立たずぶりに退会しようと思っていたら「オーシャンズ11」「モンテ・・・」「南太平洋」と立て続けにSS2列目当選で、システムが変わったからなのか・・・何でやねん?
もう高額チケット買うこともないのも、ちょっと寂しいわ。
by July (2013-02-20 19:42)
Julyさま
そうですね。カトリックの食前のお祈りは糧に感謝するというかそれを用意してくれた神様への感謝ですからね。私は海外の友人の家にお呼ばれするときはいつもこの二つを教えて帰ってきます。そうすると結構気に入ってくれるんですよ。食事のはじめと終わりにきれいにけじめをつけるのは気持ちよいことですよね。敷物かコートに・・ジャングル大帝を思い出しました。
私もSS当たりまくってます!いままでって同じ公演は最大三枚連番で買えたんでしたっけ?だとしたら単純計算で三倍の当選確率ですよね。でも連番で見られなくなるとしても、いい席が当たってくれる方がうれしい気がします。
by てんか (2013-02-21 18:05)